府文化財に2件 キリシタン墓碑・大広寺
府教委は18日、府指定文化財に、四條畷市の千光寺跡から出土した
国内最古級とされる安土桃山時代の
「田原礼幡(レイマン)キリシタン墓碑」=写真、府教委提供=
と、池田市にある大広寺の建物(本堂など6棟)を新たに指定する、
と発表した。今回の指定で府の文化財は461件になる。
キリシタン墓碑は将棋の駒に似た五角形で、
表面には十字架とアルファベットの「H」、
天正9年(1581年)の日付とともに「礼幡」の銘があった。
付近の領主田原氏の一族で、当時の宣教師、ルイス・フロイスの書簡の
記述にあるキリシタン武士「田原礼幡」の墓碑と見られ、
田原氏ゆかりの千光寺跡から02年に発掘された。
( 画像・文ともにmytown.asahi.comより )
--------------------------------------------------------------------
・田原城跡
・千光寺遺跡
(四条畷市立たのしい資料館のホームページより)
場所はここかいねぇ。
田原城%%http://maps.google.co.jp/maps?&q=34.718951,135.693833+(%E7%94%B0%E5%8E%9F%E5%9F%8E)&hl=ja&ie=UTF8&z=16%%34.718951%%135.693833%%16
powered by 地図Z
つーわけで雑感をつらつらと。
Hに十字って事は、武闘派集団・イエズス会かな。
いやしかし、この人、経歴が寂しいんだよね。
・wikipedia 田原城
ほら、寂しい経歴でしょ…。
でもこの人、洗礼を受けた日時(きっかけ)とかはわかってるらしい。
まぁ歴史って織田信長だけのもんじゃないし。
一部の天下人や権力者、著名人を除いた、
中堅や下っ端、負け組、果ては町人農民庶民のほうが
はるかに多いわけで。
この頃の河内国はなんだか切支丹大名ブームで、
堺なんかも近いからまぁしょうがないとして、
なによりキリシタン大名は結束が固いし、
キリシタン同志のサークル的なノリもあったから、
河内在住なら入ったほうが得だったかもね。
しかし洗礼名のレイマン(ライマン)ってのはすこしかっこいいな、と。
当方キリシタンではないのですが、この洗礼名ってのは
好きなの選べるのかな?
で、この人の場合は漢字表記にしちゃってるけど、
生前もこれで通していたんでしょうか?
そういう例って、内藤如安ぐらいしか知りませんけれど。
あ、あれもそうだ。明石全登。
大坂の陣の際、十字の旗をすらりと掲げて、
キリシタン軍数百をひきつれて、堂々入城したあの人。
あの人洗礼名がジュストらしいので、
ジュスト→ジェスト→ぜんとー→全登
だと思ってるんですが、合ってるよな…うん…多分。
どうなんだ?不安になってきた。あとで調べる。
洗礼名といえば、かなり無名なこの人たちが、ちょっと好き。
同じ河内の
河内三箇城跡(wolfpac.press.ne.jp)
の、三箇サンチョ・三箇マンショ親子。
サンチョにマンショだよ。
陽気なメキシカンかっつーの。
でもマイナーすぎる上に、
この人らもあれか、負け組、か・・・
信長に気に入られるほどの人物
→光秀に加担→所領追われる→筒井定次に拾われる
→秀吉の甥に仕官(キリシタンコネ?)→秀吉に嫌われる
→小西行長に仕官(キリシタンコネ?)→関が原で小西家没落
なにか、なにかどこかで、歯車狂ってるんだよね…
PR
この記事にコメントする