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「いけね、コロッケ踏んじゃった。」
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4月18日15時1分配信 毎日新聞
◇記念品も用意

福井城跡のお堀西側に架かる御廊下橋の復元を
県民参加で盛り上げようと福井県と福井市は、
一口500円の寄付を募る「ワンコインサポーター運動」を進めている。
参加者には記念品として、越前和紙で作った福井藩札の複製が進呈される。

現在の御廊下橋を明治初期に撮影された古い写真を基に、
史実にできる限り忠実に架け替える復元計画で、
6月下旬着工、来年2月の完成を目指している。
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Yahooニュース殿より抜粋。元記事は毎日新聞殿
詳しく知りたい人はそれぞれのサイトへゴー。

「藩札」というものの発行は、福井藩が最初だという。(異説あり)
その際使用されたのが「越前和紙」であり、

その後明治維新で洋紙に変更されるが、
逆に「和紙」の素晴らしさを見直す機会となり、
その後の政府紙幣には、越前和紙が使用されたとか。

戦時中は造幣局印刷所が越前和紙の産地、今立町にあったのだとか。

その後の日本の紙幣には、越前和紙の血脈が流れているのだとか。

なぜ詳しいかといえば、
子供の頃に越前和紙の工房を何度か見学させてもらう機会があり、
あのむせ返るような匂い、それでいて鮮烈清涼な空気、
流し漉きの美しさ、
溜め好きの時間が止まったような感覚、
それらを”忘れることができない体験”として、
時々フラッシュバックするほどに記憶しているから。

また、越前和紙の里には継体天皇の伝説が残り、
近隣の味真野あたりには、継体天皇に加えて万葉の物語も残るのである。

なんといえばいいか、あの一帯の美しさは、
私などの言葉では語り尽くせないのですよ。
「日本は、ここにあったのだ」と大仰な言葉が、でもふさわしいと思う。


特集 越前和紙

福井県和紙工業組合

とか長いこと書いておいて、
でも上記の新聞記事に対する意見は「一言」で済むのである。

橋かなんだが知らぬが、古式で復元するのは褒めてやる。
でもその前に

「県庁どうにかしろ。」


参考、福井城&福井県庁
県庁もしくは福井城%%http://maps.google.co.jp/maps?q=36.06519700539723,136.22179985046387+(%E7%9C%8C%E5%BA%81%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%AF%E7%A6%8F%E4%BA%95%E5%9F%8E)&hl=ja&ie=UTF8&z=17%%36.06519700539723%%136.22179985046387%%17
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焼損 なお尊い姿 寂光院旧本尊 放火以来初公開 28日から

4月16日14時49分配信 京都新聞

洛北の古刹・寂光院(京都市左京区大原)で28日から、
旧本尊の木造地蔵菩薩立像が7年前の本堂放火事件以来、
初めて公開される。
真っ黒に炭化し、痛々しい姿が火災の激しさを物語るが、
寂光院は「衆生を救済するといわれる地蔵菩薩として、
今も立ち続ける姿を見てほしい」としている。
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(Yahoo!ニュース殿より抜粋。元記事は京都新聞殿)
詳しく読みたい人はそれぞれのサイトへゴー。


まったくもって…。
そもそも出火原因が「放火」らしい。
現場でポリタンクとか見つかってるとかなんとか。

寂光院(京都大原)公式HP

衛星画像で見ると本堂部分が白い建物なんだけれど、
京都 大原 寂光院%%http://maps.google.co.jp/maps?&q=35.12431821580046,135.82102417945862+(%E4%BA%AC%E9%83%BD%20%E5%A4%A7%E5%8E%9F%20%E5%AF%82%E5%85%89%E9%99%A2)&hl=ja&ie=UTF8&z=19%%35.12431821580046%%135.82102417945862%%19

本来桧皮葺だったかなので、
これは再建中の工事用鞘堂(覆堂)なんだろうな。


「人類の宝である文化財に対する放火」や窃盗は、
人間に対する放火傷害窃盗その他よりも罪重くていいと思う。
個人よりも、「人類の宝」のほうが断然重いだろ、と。

少なくとも自分は、「人類の宝(文化財)>自分」だと思う。
これが逆向いてるような高飛車かつジコチューな自分でなくて
本当によかった、と思う。

大体、だ。燃えたのはお地蔵さんだそうで。
お地蔵さんはえらいんだぞ!

世間的には
「よく道端にある存在」程度の認識なんだろうけれど、
お地蔵さんはな、お地蔵さんはな、

Wikipedia - 地蔵菩薩

簡単にまとめると
・お釈迦さんが死んでから56億7000万年後にスーパーな弥勒菩薩がやってくる。
・「なのでそれまで、世界の管理、お前一人でやっとけ」
・「わかった。僕やっとくよ」
・「…えーと、ま、軽い気持ちで言ったけど、
資格的にはお前もこっち(仏な世界)で過ごしててもいいんだぞ?」
・「でもそうすっと誰も世界を救えないでしょ?僕やっとくよ」
・「あ、あーそーぉ?じゃ、ま、志願だから…頼むな」
・その管理範囲は下は地獄道から上は天道まで六世界全部。
・管理条件は無制限。無限のお慈悲で全てを”救って”回る。全部。
・再度言うが、期間は56億7000万年間。その間一人で全部。

えらいじゃんお地蔵さん!寂しいじゃんお地蔵さん!
もしかしてイジメ食らってるのか?とすら思えるこの境遇。
そんな暴言も無限のお慈悲で救ってくれちゃう予定!


ま、それはさておき、

>重要文化財にも指定されている大切な仏像だけに、
>お寺は表面に透明な樹脂を塗り、固めて修復した。


「 樹 脂 で 固 め た 」

…こういうことかっ!

041701.jpg

041702.jpg
ああ、未来へ永久保存。

樹脂固めだから、「樹脂フィギュア化した(原型が木型)」とも言う。
独自取材第二段。
これをカテゴリ的に
「寺社仏閣」とすべきか「城」にすべきか悩むところ。

「藩邸」なんていう増えそうにないカテゴリもおかしいしなぁ・・・

やってきました世田谷区三軒茶屋(下馬)。
歩いて来れる距離なのですが。


徳島藩屋敷門

どーん。
れっきとした、武家屋敷門です。

それも貴重な「江戸の大名屋敷(藩邸)の門」という遺構なのです。
もはや東大赤門ぐらいしか知られていない、そんな藩邸の門。

「阿波徳島二十五万石の大大名、蜂須賀氏屋敷門」


場所はここです。

武家屋敷門%%http://maps.google.co.jp/maps?&q=35.63927540165681,139.6780300140381+(%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E5%B1%8B%E6%95%B7%E9%96%80)&hl=ja&ie=UTF8&z=18%%35.63927540165681%%139.6780300140381%%18

衛星写真に切り替えると、ちゃんとこの門の屋根が見えます。

なぜか東京、世田谷、おしゃれタウンと呼ばれる三軒茶屋にあるのです。
由来はのちほど。

では眺めてみるのです。

電球付
すっかりお寺の紋がつき、
電気まで装備されているのです。

ま、現役稼動のお寺の門なのでオッケーなのです。
むしろ千社札のほうがうざいのです。

中から

内部から見たところ。
この風景を、徳島藩主や藩士たちも見たのでしょう。

番所

脇には番所もあり。
堂々二十五万石の大名屋敷門として・・・は・・・小ぶりな感じがしますが、
立派な門です。

下屋敷とかの門でしょうか?

説明板

由来書き。
簡単に言うと
・三田にあった藩邸の門である。
(表裏や、上中下のどの屋敷?という記述はなし)
・案外新しく、幕末に作られたものである。
・が、大正時代に移築されたものであるらしい
・なんでそうなったか、それまでどうしていたかは不詳
(経歴は把握されていない模様)

・・・ま、貴重に変わりはないのです。
それもこんなおかしなところに”現存している”、という事実が大事。


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