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「いけね、コロッケ踏んじゃった。」
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独自取材第二段。
これをカテゴリ的に
「寺社仏閣」とすべきか「城」にすべきか悩むところ。

「藩邸」なんていう増えそうにないカテゴリもおかしいしなぁ・・・

やってきました世田谷区三軒茶屋(下馬)。
歩いて来れる距離なのですが。


徳島藩屋敷門

どーん。
れっきとした、武家屋敷門です。

それも貴重な「江戸の大名屋敷(藩邸)の門」という遺構なのです。
もはや東大赤門ぐらいしか知られていない、そんな藩邸の門。

「阿波徳島二十五万石の大大名、蜂須賀氏屋敷門」


場所はここです。

武家屋敷門%%http://maps.google.co.jp/maps?&q=35.63927540165681,139.6780300140381+(%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E5%B1%8B%E6%95%B7%E9%96%80)&hl=ja&ie=UTF8&z=18%%35.63927540165681%%139.6780300140381%%18

衛星写真に切り替えると、ちゃんとこの門の屋根が見えます。

なぜか東京、世田谷、おしゃれタウンと呼ばれる三軒茶屋にあるのです。
由来はのちほど。

では眺めてみるのです。

電球付
すっかりお寺の紋がつき、
電気まで装備されているのです。

ま、現役稼動のお寺の門なのでオッケーなのです。
むしろ千社札のほうがうざいのです。

中から

内部から見たところ。
この風景を、徳島藩主や藩士たちも見たのでしょう。

番所

脇には番所もあり。
堂々二十五万石の大名屋敷門として・・・は・・・小ぶりな感じがしますが、
立派な門です。

下屋敷とかの門でしょうか?

説明板

由来書き。
簡単に言うと
・三田にあった藩邸の門である。
(表裏や、上中下のどの屋敷?という記述はなし)
・案外新しく、幕末に作られたものである。
・が、大正時代に移築されたものであるらしい
・なんでそうなったか、それまでどうしていたかは不詳
(経歴は把握されていない模様)

・・・ま、貴重に変わりはないのです。
それもこんなおかしなところに”現存している”、という事実が大事。


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