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「いけね、コロッケ踏んじゃった。」
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滑落続出で封印の国宝・投入堂、60年ぶりに拝観者公募





鳥取県三朝(みささ)町の
三徳山三佛寺(みとくさんさんぶつじ)は、
絶壁に立ち、立ち入り禁止になっている
国宝・投入堂(なげいれどう)について11月、
1日だけ3人の拝観を認める。

参拝者の滑落事故が相次いだため、約60年前に“封印”したが、
約100年ぶりの修復を記念しての限定公開となる。

平安時代に建てられた投入堂は高さ約100メートルの絶壁にあり、
修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が法力で
建物全体を絶壁の岩くつに投げ入れたと伝えられている。
現在、県などが三徳山全体の世界遺産登録を目指している

戦前は規制はなかったが、滑落事故防止と文化財保護のため、
戦後間もないころに柵を設け、入れないようにした。
三佛寺は
「安全のため命綱をつけてもらうが、保険は自分で加入してください」
としている。

対象は18歳以上で、現在、応募は1人だけ。
「なぜ拝観したいか」などをテーマにした作文で選考する。
締め切りは9月1日。問い合わせは同寺(0858・43・2666)へ。


YOMIURI ONLINE  8月21日

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ということになったらしい。

三徳山三仏寺公式HP
三徳山・投入堂を世界遺産に! - 三朝町
Wikipedia - 三仏寺


名前は知らなくても、日本人なら一度は写真映像ででも
見たことあるこの投入堂、
なんでも
かの役行者こと大魔道士・大呪術使いの役小角
「建物ごとどかーんと投げ込んで」造られたそうで。

それ、どんだけ豪腕投手だよ、と。


でも山岳修験道関連であることだし、
洋の東西を問わず、難しい地形を見たら、
つい拝んじゃって、信仰の対象になっちゃうと思うのです。
この投入堂も、麓からいい感じに見えるしね。
そうやって拝んでるうちに、悪戯心と信仰心が混ざって、
こういうもの造っちゃうと思うんですよ。
最初は信仰のグッズが置いてあって、
そのうち神仏像を安置したりして、
かわいそうなので屋根つけたりして、
で、

「あそこにイカス建物造ったら、俺らすごくね?」

という感じで。
これなんか近いものあると思う。
元々の原始信仰の場が発展して、つい凄いもの作っちゃった感じ。

平泉の観光 - 達谷窟

ま、達谷窟の場合、近年の再建なんですけれど。

で、平泉の達谷窟といえば蝦夷悪路王アテルイ。
アテルイといえば坂上田村麻呂。
田村麻呂といえば清水寺。
似てる。
清水の舞台も、かなりの断崖に建てられているし。

で、これまでの旅の経験から言うと、
全国には案外「○○の清水の舞台」と呼ばれるような建築物があって、
江戸ぐらいに明らかに清水意識して作られたものもあるけれど、
もっと古いものもある。
この投入堂は平安後期の建築資材が使ってあるらしいので、
大体それぐらいには、現在の建物はあったことになる。

なんか多分にね、その時代の素朴な悪戯心と信仰心で
「あそこに建てたら凄くね?」
だと思うんだ、やっぱり。

さて、世界遺産を目指してるらしいのですが、
その辺への突っ込みはまたいつかに取っとくとして。


この建物、60年間原則立ち入り不許可だったらしい。
そもそもこの建物、正式なアプローチがなくて、
床下の岩の部分に階段状のくぼみがあって、
そこを使ってまさに這い上がるように登っていくんですよ。
えーなんで知ってるかというと見に行った事あるから。

不許可・・・うーん、
Flickerではこんな画像みつけたぞ。

いやいやあれよ、
修繕の人とか調査員とかは登ってるから、
そんな人かもしれないよ。

え、オラは・・・ひみつ。


とか言ってみたりして。
ま、多分上の画像も、
投入堂じゃない建物で撮ってるんだと思うのです。
他にもいろいろあるから。

あとですね、三朝温泉とか三朝温泉とか、
隣町になるけれど、羽衣石城とか日本のハワイとかあって、
なかなかいいところですよこの辺は。


ところで、
「作文提出審査で三人限定で許可」
なのだそうで。
誰がなに基準で選ぶんだろとちょい不思議。
思い入れがこもってればいいのかな?
しかし、

徳山で仏寺で朝町、

だから三人限定なのだろうとは思うのだけれど、
だったら

「333人ご招待」

にしろよ、と。
あと長嶋終身名誉監督も呼べ。


日本で「3」といえば長嶋茂雄か三平三平と決まっている。
昭和の昔から決まっている。




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ディオゴ結城の墓碑か 阿波市市場町、“名”刻まれた石発見

ディエゴ結城の墓

阿波出身で、カトリックの「福者」になることが決まった
江戸時代初頭の神父・ディオゴ結城を指すとされる「不慶」と刻まれた墓碑が、
阿波市市場町犬墓で見つかった。
足利将軍家の末えい「阿波公方」の重臣で、
ディオゴとかかわりが深い荒井家の墓地にあり、
一六三六年の殉教後、五十-百年たって建立されたとみられる。
専門家によると、県内にはほとんど残っていない禁教令時代の
キリスト教関連の遺物としても貴重だという。

徳島新聞社 2007/08/20


で、その墓の画像はこっち。
新聞社のトコから消えるかもしれないからとっとく。


なんか複雑なのである。
ディオゴ結城とやらは、
なかなかにダイナミックな人生を送っているのですよ。

ディオゴ結城了雪 - カトリック中央協議会

1574年、阿波生まれ。長じて高槻のセミナリヨで学ぶ。

1587年に秀吉の禁教令でかな?長崎生月に追放。でも監禁先から有馬に逃走。
1595年に天草でイエズス会に入会。河内浦のコレジヨでさらに学ぶ。
1601年から3年間、中浦ジュリアンとともにマカオに留学。
1607年に伏見の教会に任命。徳島に渡って蜂須賀家政と足利義種の前で神の教えを述べた。
1612年に司祭になる叙階のために有馬に呼ばれる。
1614年、高山右近とともにマニラに追放。翌年に現地で司祭になれた。
マニラにいたイエズス会のレデスマ管区長のコメントがあって、
要約すると「くそまじめな日本人」
1616年、秘かに長崎に帰還。京都に派遣。
1619年の京都の大殉教の時には難を逃れ、殉教者の遺体を葬った。
1636年2月、大坂で穴吊りの刑。享年61歳。

この捕縛された時に、「協力者の名前を吐け」と言われたけれど、
「20年ほど誰の協力も得てないよ。食べ物は山で自然から調達しました」
と言い張ったことが伝えられているらしい。

自称「自給自足生活な、エコでロハスなキリシタン」。



で、まとめますと。
・くそまじめ。宗教的盲信・・・いやいや、一途さかもしれないけれどまじめ。
・頑張って布教を続けて、北は津軽から九州まで日本全国を回った。
・外国(マニラ)も行ったことがある。
・特に「畿内最後の大物キリシタン」だったことで有名。
・捕まえるにあたって協力したのが、平島公方の家臣、荒木某。
・でもディオゴ自体にも、平島公方の家臣出身という説、
それどころか平島公方の一族縁者説もある。
・荒木某の一族墓地の隅で見つかった。
・どうやら荒木某がディオゴの死を哀れんで、
もしくは自責の念で建てたらしい。

平島公方といえば”歴史好き”からしたらたまらない素材であり、
どうにか中央への復帰、
せめてもう少しいい扱いでの取立てを延々と望んでいた立場で。
当時は領主の蜂須賀さんからも冷遇され、
中央(秀吉家康方面)から無視され、
自分の庇護者(三好や長宗我部)はどんどんいなくなり、
という、切ないドツボ街道の入り口に立った状態。

平島公方の一派からしたら、自分の家臣ないしは一族から、
「畿内最後の大物キリシタン宣教師」を輩出しているとなったら、
これはもうやベー事態であったはずで。

で、捕縛に協力したのが平島公方家臣、と。


ま、びみょーな時代なんですけれどね。
禁教とかされてる割には、キリシタン大名も割と残ってるし。
当時の徳島藩主の蜂須賀家政が既に、
一応キリシタン大名でした、ということになっているし。

秀吉から家康にかけての若い大名(の跡取り)って、
「キリシタン大名だった」っての多いよなぁ、と思う。
多分、さほどの宗教熱心さがあったわけではなく、
若者らしく、新しい文化への憧れやブームとか、
キリシタンに理解を示すことでの外国貿易の可能性とか、
そういうことなんだろうとは思うけれど。


それより、最近なんだかキリシタン関連のものがやたらと見つかってない?
ディオゴも、
「今年六月に福者(聖者のひとつ下の、要するにキリスト教貢献者認定)に認定された」
というタイミングで墓認定。


独自取材シリーズというか、
武家屋敷門シリーズというか、
とりあえず再度!

今度の「門」は、これでござる。

050901.jpg

ど-ん。

なかなかどっかりとした構え。
そしてどっかりと停車するどっかりとした四駆・・・。

これは岡山藩池田氏の家老、伊木氏の屋敷の長屋門でござる。

池田の家老の伊木氏といったら、陣屋持ちで堂々3万石余を預かっている、
下手な大名よりでかい家だったのでござる。


050902.jpg

要点をまとめますと、

・現在、世田谷区の二子玉川の高級マンション敷地にある。
・昔は岡山城下にあった、伊木氏上屋敷の門である。
・河川改修で破棄するところを、鮎川コンツェルン(のちの日産)の鮎川義介が
買い取って、紀尾井町の屋敷に移築した。
・のち、現在地にあった別荘に移築。
・そして邸宅がマンション化されたが、門は少し移築してここにある。

という感じ。
三軒茶屋の蜂須賀氏屋敷門とは違い、
江戸城下の大名屋敷の門ではないのでござる。


Wikipedia - 伊木氏
Wikipedia - 鮎川義介

GoogleMapでみてみるのでござる。

伊木家長屋門%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.623003454198106,139.62214350700378+(%E4%BC%8A%E6%9C%A8%E5%AE%B6%E9%95%B7%E5%B1%8B%E9%96%80)&hl=ja&ie=UTF8&z=18%%35.623003454198106%%139.62214350700378%%18

この四角いのが、門。
Satelliteにすると、屋根が見えまする。

さて、細部を見て見ましょう。

050903.jpg

うむ。立派立派。

050904.jpg

壁はもともとこうだったのかは謎。
移築といっても「骨組みだけ」で、
土壁なんかは鮎川時代以降なのかもしれない。

岡山市内に伊木氏の屋敷門というのが残っているらしく、
その画像をネットで見たのでござるが、
ちょっと壁の雰囲気は違ったのでござる。

050905.jpg

GW中で、大変よい陽気でござった。
歴史と青空の、美しい対比でござる。


「瓦の家紋を撮ろうと思って写真失敗しただけ」
というのは秘密でござる。


050906.jpg

こうして、思いっきりマンション敷地にあり、
マンション管理部屋として使用されているらしく、
脇には明らかに昭和時代の増築物もひっついているのでござる。

そもそもここはマンション敷地であり、
見学の際はその辺配慮すべし注意、でござる。

この近辺には「岡本民家園」、「旧小坂邸」などがあり、
岩崎小彌太の岡本静嘉堂文庫もあるのでござる(岩崎家墓地もあり)。
歴史散策にもオススメでござる。
ただし崖線を上り下りすることになるので、体力を考慮すること。
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