こけしが売れたぞー。
(なんのこと?という人、前回の記事はこちら)
「ふるさと創生」の純金・純銀こけし、時価以上で売却
青森県黒石市が竹下内閣の「ふるさと創生事業」の1億円で作った
純金こけし(時価約1億7000万円)を売却する一般競争入札が30日行われ、
純銀こけし(時価約160万円)とセットで
仙台市の健康食品販売会社「ジャパンヘルスサミット」(島川隆哉社長)が落札した。
落札価格は公表されていないが、最低売却価格の1億9000万円を上回った。
11月30日13時1分配信 読売新聞
別の新聞サイトは「2億で売れた」と報道している。
前日ここでちらりと書いたのですが、
(その時のエントリはこちら)早々に売れたみたいです。
それも当初の一億、
金属価値だけの現在時価の一億七千万を軽く超える二億!。
え…あれ?こないだ一億五千万だったはず?
金価格上昇したのか?
確かこれ、著名なこけし作家の作品がモデルなので、
その芸術性が加味された…わけはないか。
一応地元でも、「一口オーナー募集」とかやってたんですよ。
・ 「純金こけしオーナーズクラブ」
鋳潰した金でも1億五~七千万の価値があるのでえっと、
嫌でも1億と考えても…一口一万円で…一万人かぁ。
まぁうん…どうにかならない気がしないでも…うん…。
ま、集まらなかったのですけれど。
集まらなかったら、今回の売却へと話が進んだのですけれど。
ちなみにこのオーナーズクラブが成功していた場合の
クラブ員特典といたしましては
純金こけしオーナー特典
- 純金こけしオーナーズクラブ会員カードを発行します。
- 会員カードは、津軽こけし館入場フリーパスカードになります。
- 弘南バス・昼行高速バス「青森上野号」10%割引。
- 青荷温泉宿泊10%割引。
- 1年に1回、抽選で青荷温泉旅館無料宿泊券が10組20名様に当たります。
- 津軽伝承工芸館ならびに津軽こけし館の売店、レストラン、工房の商品を10%割引でご購入できます。
- (仮)企業の協賛により、抽選により 津軽ロマン、津軽りんご、りんごジュースなど、 年1回、抽選により黒石の特産品、加工食品が届きます。
- 黒石市内の加盟店の商品を割引価格でご購入できます。
- メールにより黒石の四季の情報を配信します。 (→黒石ねぷた、黒石よされ、紅葉など観光や商品情報など)
- 今後、黒石温泉郷をはじめ黒石市内加盟店など特典を随時追加予定。
う、うーん。全員にもれなく貰えるものは会員証だけかぁ。
自分のように津軽黒石が割と好きな人ならともかく、
あんまりうーん。
3年ぐらい黒石に通ったら、なんか得したような気がするかな。
というかメール観光配信は、普通に無料でやれよ黒石市。
「実は売る気ないのか黒石市」というぐらいの
無理めなオークションスタート価格設定(一億九千万スタート)だったので、
売れるとはびっくりした。
寂しい気もするかもしれないけれど、
何度も言うように金利とか考えれば、終わってみれば大成功だったと思う。
よそのふるさと創生事業のグダグダっぷりを考えれば、
黒石はこの運のよさ、ラッキーをもっと自慢していい。
民話にして語り継げ。
「昔、黒石にはな、金のこけし、てのがあったんだよ。
都からお金を貰ったけれど、どうしていいかわからなかったので
固めてこけしをこさえておいたんじゃ。
それが財政難の頃にな…」
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純金こけしのオーナー募集断念、売却へ
財政難の青森県黒石市が時価約1億5000万円の「純金こけし」売却を検討している問題で、
地元に残そうと1口1万円の共同オーナーを募っていた
住民有志「純金こけしオーナーズクラブ実行委員会」が1日、目標額に達しなかったとして
募集断念を鳴海広道市長に報告した。これで、純金こけしの売却は避けられない見通しとなった。
委員会は7月、1万5000口を目標に全国からオーナー募集を始めたが、
締め切りの9月末時点で応募は8137口にとどまった。
目標に達しないため、応募分も実際の出資はなくなった。
黒石市によると、10月末の市議会全員協議会で意見を集約し、
市長が最終判断をするが、「売却の方向は間違いない」(担当者)としており、
早ければ年度内にも売却されるという。
中村勝治実行委員長は
「残念だが、黒石の名前を全国にアピールできたし、活動は決して無駄でなかった」
と話した。
純金こけしは「ふるさと創生事業」の1億円を活用して1989年に制作。
市内の「津軽こけし館」に展示され、
強奪を狙ったとして9月29日には男が大阪府警に逮捕されている。
[2007年10月1日17時23分]
・ nikkansports.com
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これ、見たことあるなあ。
あの頃は津軽黒石にそんなに思い入れはなかったけれど、
ちょっと前に津軽氏にしばらく興味持ったから、
いまはなんかこの純金こけしがいい奴に感じる。
いや実際はかわいくもなんともない奴だったけれど。
詳しくは画像でも探してください。
これ、当時1億円で作って、
現在の金属相場上昇で時価一億五千万。
だとしたら、金利面考えても黒石大成功じゃない?と思う。
褒めてあげるべきだと思うよ。
一億円の価値を全く落とさず、むしろ上げたのだから。
さて、懐かしい歴史上の一大イベント
「ふるさと創生資金1億円ばら撒き大会」
この資金をどこがどのように使ったか、というのは
当時から現代までいろいろ言われていますが、
歴史方面に使った例もかなりあったのです。
ただし、大抵はバカな使い方として。
ま、大体
「地元に歴史資料館建てる」
「その資金の足しにする」
「それもだっさいお城風」
「地元の城跡に、
歴史上ありもしない天守閣捏造」
「でも誰も来てくれない」
こんな感じでしょぼしょぼしているけれども。
どこもかしこも一億の価値なんかありゃしないものばかり。
中でも一番有名なのはやっぱりこれでしょうな。
拡大地図を表示
伝説の墨俣一夜城。
かの秀吉が一晩で作り上げたという巷談で有名な地元が
・史実無視の場所に
・史実無視のスケールで
・史実無視のデザインで
・一億じゃ足りないから追加ぶち込んで
・(名古屋が近いから)金のシャチホコ掲げて
・中はありがちな半端な資料館で
・竹下登首相をお招きして、地元と首相はご満悦。
という風に作り上げたのはいいけれど、
観光客は誰も来てくれなかった、という、
いまだにお城マニアからは蛇蝎のごとく嫌われている、
ある意味、超メジャーなお城なのです。
というかこの城、観光客には難攻不落なのです。
地図見てもらえばわかるように、
近くに駅が全くないのです。
じゃ車使えばいいじゃん?
・・・駐車場ないらしいよー。
いやでもさすがにいまはあるかも、駐車場。
作るだろ駐車場。問題点が発覚したら考えるだろ。
・ 墨俣町商工会 - 墨俣一夜城
この墨俣町、平成大合併にて大垣市に編入されました。
大垣市には立派な「大垣城」というお城があるのです。
ほんものの、歴史ある由緒正しいお城なのです。
・ 財団法人大垣文化事業団 - 大垣城
天守閣は空襲で焼けちゃったけれど、一応再建はしたし。
城下町もなかなかなのです。
墨俣みたいなアホ城、要らないのです。
アホな政策で城が建ち、
アホな政策でそれを引き取った。
・・・でかいお荷物引き取ったなぁ。がんばれ大垣市。
独自取材第二段。
これをカテゴリ的に
「寺社仏閣」とすべきか「城」にすべきか悩むところ。
「藩邸」なんていう増えそうにないカテゴリもおかしいしなぁ・・・
やってきました世田谷区三軒茶屋(下馬)。
歩いて来れる距離なのですが。
どーん。
れっきとした、武家屋敷門です。
それも貴重な「江戸の大名屋敷(藩邸)の門」という遺構なのです。
もはや東大赤門ぐらいしか知られていない、そんな藩邸の門。
「阿波徳島二十五万石の大大名、蜂須賀氏屋敷門」
場所はここです。
衛星写真に切り替えると、ちゃんとこの門の屋根が見えます。
なぜか東京、世田谷、おしゃれタウンと呼ばれる三軒茶屋にあるのです。
由来はのちほど。
では眺めてみるのです。
すっかりお寺の紋がつき、
電気まで装備されているのです。
ま、現役稼動のお寺の門なのでオッケーなのです。
むしろ千社札のほうがうざいのです。
内部から見たところ。
この風景を、徳島藩主や藩士たちも見たのでしょう。
脇には番所もあり。
堂々二十五万石の大名屋敷門として・・・は・・・小ぶりな感じがしますが、
立派な門です。
下屋敷とかの門でしょうか?
由来書き。
簡単に言うと
・三田にあった藩邸の門である。
(表裏や、上中下のどの屋敷?という記述はなし)
・案外新しく、幕末に作られたものである。
・が、大正時代に移築されたものであるらしい
・なんでそうなったか、それまでどうしていたかは不詳
(経歴は把握されていない模様)
・・・ま、貴重に変わりはないのです。
それもこんなおかしなところに”現存している”、という事実が大事。
これをカテゴリ的に
「寺社仏閣」とすべきか「城」にすべきか悩むところ。
「藩邸」なんていう増えそうにないカテゴリもおかしいしなぁ・・・
やってきました世田谷区三軒茶屋(下馬)。
歩いて来れる距離なのですが。
どーん。
れっきとした、武家屋敷門です。
それも貴重な「江戸の大名屋敷(藩邸)の門」という遺構なのです。
もはや東大赤門ぐらいしか知られていない、そんな藩邸の門。
「阿波徳島二十五万石の大大名、蜂須賀氏屋敷門」
場所はここです。
武家屋敷門%%http://maps.google.co.jp/maps?&q=35.63927540165681,139.6780300140381+(%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E5%B1%8B%E6%95%B7%E9%96%80)&hl=ja&ie=UTF8&z=18%%35.63927540165681%%139.6780300140381%%18
衛星写真に切り替えると、ちゃんとこの門の屋根が見えます。
なぜか東京、世田谷、おしゃれタウンと呼ばれる三軒茶屋にあるのです。
由来はのちほど。
では眺めてみるのです。
すっかりお寺の紋がつき、
電気まで装備されているのです。
ま、現役稼動のお寺の門なのでオッケーなのです。
むしろ千社札のほうがうざいのです。
内部から見たところ。
この風景を、徳島藩主や藩士たちも見たのでしょう。
脇には番所もあり。
堂々二十五万石の大名屋敷門として・・・は・・・小ぶりな感じがしますが、
立派な門です。
下屋敷とかの門でしょうか?
由来書き。
簡単に言うと
・三田にあった藩邸の門である。
(表裏や、上中下のどの屋敷?という記述はなし)
・案外新しく、幕末に作られたものである。
・が、大正時代に移築されたものであるらしい
・なんでそうなったか、それまでどうしていたかは不詳
(経歴は把握されていない模様)
・・・ま、貴重に変わりはないのです。
それもこんなおかしなところに”現存している”、という事実が大事。