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  <title>歴史のバカ。</title>
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  <description>「いけね、コロッケ踏んじゃった。」</description>
  <lastBuildDate>Wed, 31 Jul 2013 19:03:35 GMT</lastBuildDate>
  <language>ja</language>
  <copyright>© Ninja Tools Inc.</copyright>
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    <item>
    <title>無題</title>
    <description>
    <![CDATA[更新したいんだけどなぁ。 <br />
「たんぽぽ城」とか。]]>
    </description>
    <category>作業用＆納屋</category>
    <link>http://thomas.blog.shinobi.jp/%E4%BD%9C%E6%A5%AD%E7%94%A8%EF%BC%86%E7%B4%8D%E5%B1%8B/20130801</link>
    <pubDate>Wed, 31 Jul 2013 19:03:35 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>たぶん日本史上最悪のスリップ事故・・・　（四条天皇）</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
<a href="//thomas.blog.shinobi.jp/File/091001.jpg" target="_blank"><img border="0" src="//thomas.blog.shinobi.jp/Img/1195626235/" alt="" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<font size="3"><strong>四条天皇</strong></font><br />
<br />
<br />
という天皇がいたんだ。<br />
天皇というより少年。<br />
なにせ即位した時が２歳だったし。<br />
その頃は病弱なお父さん（<strong>後堀川天皇</strong>）もまだ生きてて、<br />
御堀川上皇として、実質はお父さんが取り仕切っていたんだ。<br />
院政っていうんだけどね。<br />
<br />
<br />
難しいから、系図置いとく。<br />
クリックでちょっと拡大。<br />
<a target="_blank" href="//thomas.blog.shinobi.jp/File/b53d5ee6.png"><img border="0" alt="四条天皇関連系図" src="//thomas.blog.shinobi.jp/Img/1201841498/" /></a> <br />
<br />
<br />
時は鎌倉幕府が出来て間もない頃。<br />
<br />
<strong>安徳天皇</strong>が平家と一緒に壇ノ浦に沈んで、<br />
<strong>後鳥羽天皇</strong>が即位してなんだか権力盛り返して、<br />
後鳥羽系の天皇を擁した後鳥羽上皇方と、<br />
出来てまだ間もない、不安定な各勢力寄り合い所帯の鎌倉幕府とが<br />
喧嘩になって（<strong>承久の乱</strong>）、<br />
負けた側の首謀者・<strong>後鳥羽系列の天皇一族が一斉処分</strong>されちゃうんだ。<br />
<br />
<br />
四条天皇のおじいさんというのが、<strong>守貞親王</strong>っていうんだけど、<br />
兄の安徳天皇が死んだ後、<br />
なぜだか自分は順番飛ばされて、<br />
実弟の後鳥羽に天皇の位が行っちゃって、<br />
そんな自分の境遇にガッカリして、出家しちゃってたんだ。<br />
なんでそんなことになったのかはわからないんだけど。<br />
<br />
ところが、承久の乱のせいで鎌倉幕府が、<br />
「後鳥羽系の天皇は全部追放した。<br />
次から後鳥羽系列の天皇は認めない！」<br />
と言い出して、<br />
後鳥羽系列の皇子は全部資格ナシになって、<br />
じゃ守貞親王にチャンス到来！と思いきや、<br />
もう出家してるから資格ナシ！ガッカリ！<br />
<br />
じゃ他の適格者は？って探したら、<br />
<strong>守貞親王の子供しかいなかった</strong>んだ。<br />
当時まだ10歳。<br />
でもしょうがないから即位させて<strong>後掘川天皇</strong>になった。<br />
これがのちの、四条天皇のお父さんね。<br />
でも10歳じゃ頼りないし、<br />
当時は天皇の上に上皇がいて「院政」をやるのが慣例というか、<br />
それでやっと安定体制だね、というところがあったから、<br />
天皇のお父さん、<br />
つまり守貞親王（でも出家済なので天皇にはなれなかった）を急遽、<br />
<strong> 「上皇」</strong>ということにして院政がスタートしたんだ。<br />
「出家してるから天皇にはなれないけれど、<br />
上皇にはそんなルールは聞いたことねぇよ！」<br />
というみんな暗黙のなぁなぁで。<br />
<br />
形式上は10歳の息子天皇が、親王の父親に「上皇号をあげた」形。<br />
<br />
<br />
この守貞入道親王改め、<strong>高倉上皇</strong>は頑張ったんだ。<br />
関係悪化してた鎌倉幕府と京都朝廷界とを、<br />
どうにか仲直りさせることに一生懸命になって、<br />
でも二年ぐらいしたら死んじゃったんだ。４０歳ちょっと。<br />
<br />
<br />
<br />
<strong> 後堀川天皇</strong>、つまり四条天皇のお父さんは、病弱だったんだ。<br />
10歳で即位して、２年後にじーちゃんが死んで、それから天皇だったんだ。<br />
でも早く院政にして安定させたいし、そもそも病弱だったから、<br />
１９歳の時に生まれた四条天皇にさっさと位を譲って、<br />
自分は上皇になったんだ。<br />
後堀川上皇21歳。<strong>四条天皇はまだ２歳。</strong><br />
<br />
で、それから２年ぐらいして、<br />
御堀川天皇（上皇）はあっさり死んじゃった。<br />
享年23歳ぐらい。<br />
ちょ・・・<br />
で、でも病弱だったし。<br />
<br />
しかし、さすがに早死に過ぎるから<br />
「怨霊か！？さては怨霊の仕業！？やっぱ怨霊かな！？」<br />
と言われたりしたけれど、<br />
そもそも病弱だったし。<br />
<br />
<br />
<br />
というわけで孤児になっちゃった<strong>四条天皇</strong>には、他の男兄弟はいなかったんだ。<br />
政務は母方のじいちゃん（九条道家）とかがなんとかしてくれてたんだけど、<br />
結局、<strong>&rdquo;非・後鳥羽系の皇位の継承&rdquo;</strong>が、<br />
四条天皇一人の運命にかかることになっちゃって、<br />
これはかなりピンチな状況。<br />
早く健康に大きくなって、結婚もして、次の代と育てなきゃ。<br />
<br />
なんだか不思議な「彗星に祟られ」て寝込んだりもしたけれど、<br />
でもどうにか12歳まで成長したんだ。<br />
<br />
<br />
・・・12歳っていったらさー、<br />
天皇とはいっても少年真っ盛りじゃん？<br />
だからいろいろやってみたいじゃん？<br />
四条天皇くんは宮廷の人を驚かせようと思って、<br />
御所の廊下に、<strong>滑る石で細工をした</strong>んだ。<br />
そこを歩いてくる人が滑って転んであっはっはっ、という悪戯だったんだ。<br />
<br />
<br />
<br />
<strong><font size="3"> 四条天皇はその仕掛けを自らチェック中、誤って転倒。</font><br />
<br />
<br />
</strong> ほぼ即死したと伝わる。享年12歳。<br />
死因は脳挫傷と推定される。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong><font size="3">非・後鳥羽上皇系の血脈、これにて断絶。</font><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
</strong>～その後～<br />
<br />
これにより朝廷や鎌倉幕府は大混乱となり、天皇がいない状態が11日間続いた。<br />
（　※・一瞬でも「天皇空位」という状況は、過去450年以上なかったこと。　）<br />
鎌倉幕府はいやいやながらも他に選択肢もなく、<br />
少しでも鎌倉に縁がある、<br />
でも<strong>天敵の後鳥羽の孫に当たる</strong>後嵯峨天皇が即位することになった。<br />
他にロクな選択肢がなかったから・・・。<br />
<br />
後嵯峨天皇は即位前、ものすごく貧乏していて、<br />
20歳にもなるのに元服もできず、<br />
かといって出家も出来ずにいたところだった。<br />
<br />
後鳥羽の息子である父天皇も流されて、<br />
母方の貴族の家にいたけれどそこも落ちぶれてて、<br />
幕府への反逆者＝後鳥羽の孫の自分には、<br />
永遠に彼には皇位は回ってこない予定だったし。<br />
<br />
このスリップ事故は彼にだけは、本当にラッキーだった。<br />
<br />
<br />
<br />
～おまけ～<br />
<br />
実は四条天皇より不幸かもしれない人がいる。<br />
系図右下の「仲恭天皇」。<br />
この天皇は、<br />
1218年、生まれる。<br />
1221年4月、三歳で、じーさんたちの承久の乱準備のために即位。<br />
7月、承久の乱失敗。廃位。摂政だった九条道家の家に預けられる。<br />
1234年、死亡。享年17歳。<br />
長らく即位したと認められず、歴史の穴扱いだった。<br />
現在は即位したことになっているけれど、<br />
日本史上、<strong>天皇在位最短記録保持者（三ヶ月）。<br />
<br />
<br />
</strong>]]>
    </description>
    <category>平安時代な人物</category>
    <link>http://thomas.blog.shinobi.jp/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AA%E4%BA%BA%E7%89%A9/%E3%81%9F%E3%81%B6%E3%82%93%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E6%9C%80%E6%82%AA%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%80%80%EF%BC%88%E5%9B%9B%E6%9D%A1%E5%A4%A9%E7%9A%87%EF%BC%89</link>
    <pubDate>Mon, 30 Apr 2012 07:18:50 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">thomas.blog.shinobi.jp://entry/48</guid>
  </item>
    <item>
    <title>黄金時代の終焉。( 黒石市の金のこけし売却決定 )</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
<br />
<strong><font size="3">こけしが売れたぞー。</font></strong><br />
<br />
<br />
（<a href="http://thomas.blog.shinobi.jp/Entry/39/" target="_self">なんのこと？という人、前回の記事はこちら</a>）<br />
<br />
<br />
<br />
<img width="348" height="480" src="//thomas.blog.shinobi.jp/File/c32bb02ajpeg" alt="" /><br />
<br />
<br />
「ふるさと創生」の純金・純銀こけし、時価以上で売却<br />
<br />
青森県黒石市が竹下内閣の「ふるさと創生事業」の１億円で作った<br />
純金こけし（時価約１億７０００万円）を売却する一般競争入札が３０日行われ、<br />
純銀こけし（時価約１６０万円）と<strong>セットで</strong><br />
仙台市の健康食品販売会社「ジャパンヘルスサミット」（島川隆哉社長）が落札した。<br />
<br />
落札価格は公表されていないが、<strong>最低売却価格の１億９０００万円を上回った</strong>。&nbsp; <br />
<br />
11月30日13時1分配信 読売新聞<br />
<br />
<br />
<br />
別の新聞サイトは<strong>「2億で売れた」</strong>と報道している。<br />
<br />
<br />
前日ここでちらりと書いたのですが、<br />
（<a href="http://thomas.blog.shinobi.jp/Entry/39/" target="_blank">その時のエントリはこちら</a>）早々に売れたみたいです。<br />
それも当初の一億、<br />
金属価値だけの現在時価の一億七千万を軽く超える二億！。<br />
<br />
<br />
え&hellip;あれ？こないだ一億五千万だったはず？<br />
金価格上昇したのか？<br />
<br />
確かこれ、著名なこけし作家の作品がモデルなので、<br />
その芸術性が加味された&hellip;わけはないか。<br />
<br />
<br />
<img width="360" height="266" src="//thomas.blog.shinobi.jp/File/1d0cfe28jpeg" alt="" /><br />
<br />
一応地元でも、<strong>「一口オーナー募集」</strong>とかやってたんですよ。<br />
<br />
・ <a href="http://kokeshiownersclub.com/index.html" target="_blank">「純金こけしオーナーズクラブ」</a><br />
<br />
鋳潰した金でも１億五～七千万の価値があるのでえっと、<br />
嫌でも１億と考えても&hellip;一口一万円で&hellip;一万人かぁ。<br />
まぁうん&hellip;どうにかならない気がしないでも&hellip;うん&hellip;。<br />
<br />
ま、集まらなかったのですけれど。<br />
<br />
集まらなかったら、今回の売却へと話が進んだのですけれど。<br />
<br />
ちなみにこのオーナーズクラブが成功していた場合の<br />
クラブ員特典といたしましては<br />
<br />
純金こけしオーナー特典<br />
<ol>
    <li>純金こけし<strong>オーナーズクラブ会員カード</strong>を発行します。 </li>
    <li>会員カードは、津軽こけし館入場フリーパスカードになります。 </li>
    <li>弘南バス・昼行高速バス「青森上野号」10％割引。 </li>
    <li>青荷温泉宿泊10％割引。 </li>
    <li>１年に１回、<strong>抽選で</strong>青荷温泉旅館無料宿泊券が10組20名様に当たります。 </li>
    <li>津軽伝承工芸館ならびに津軽こけし館の売店、レストラン、工房の商品を１０％割引でご購入できます。 </li>
    <li>（仮）企業の協賛により、<strong>抽選により</strong> 津軽ロマン、津軽りんご、りんごジュースなど、 年１回、<strong>抽選により</strong>黒石の特産品、加工食品が届きます。 </li>
    <li>黒石市内の加盟店の商品を割引価格でご購入できます。 </li>
    <li>メールにより黒石の四季の情報を配信します。 （&rarr;黒石ねぷた、黒石よされ、紅葉など観光や商品情報など） </li>
    <li>今後、黒石温泉郷をはじめ黒石市内加盟店など特典を随時追加予定。</li>
</ol>
<br />
う、うーん。全員にもれなく貰えるものは会員証だけかぁ。<br />
自分のように津軽黒石が割と好きな人ならともかく、<br />
あんまりうーん。<br />
３年ぐらい黒石に通ったら、なんか得したような気がするかな。<br />
<br />
というかメール観光配信は、普通に無料でやれよ黒石市。<br />
<br />
<br />
「実は売る気ないのか黒石市」というぐらいの<br />
無理めなオークションスタート価格設定（一億九千万スタート）だったので、<br />
売れるとはびっくりした。<br />
<br />
寂しい気もするかもしれないけれど、<br />
何度も言うように金利とか考えれば、終わってみれば大成功だったと思う。<br />
よそのふるさと創生事業のグダグダっぷりを考えれば、<br />
<br />
黒石はこの運のよさ、ラッキーをもっと自慢していい。<br />
<strong>民話にして語り継げ。</strong><br />
<br />
<br />
<br />
「昔、黒石にはな、金のこけし、てのがあったんだよ。<br />
都からお金を貰ったけれど、どうしていいかわからなかったので<br />
固めてこけしをこさえておいたんじゃ。<br />
それが財政難の頃にな&hellip;」<br />
<br />
<br />
<br />
<br />]]>
    </description>
    <category>地域史</category>
    <link>http://thomas.blog.shinobi.jp/%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E5%8F%B2/%E9%BB%84%E9%87%91%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E7%B5%82%E7%84%89%E3%80%82-%20%E9%BB%92%E7%9F%B3%E5%B8%82%E3%81%AE%E9%87%91%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%91%E3%81%97%E5%A3%B2%E5%8D%B4%E6%B1%BA%E5%AE%9A%20-</link>
    <pubDate>Fri, 30 Nov 2007 08:31:25 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">thomas.blog.shinobi.jp://entry/50</guid>
  </item>
    <item>
    <title>腹中の虫。リアル（？）に甦る。　（針聞書）</title>
    <description>
    <![CDATA[<img width="360" height="270" border="0" alt="" src="//thomas.blog.shinobi.jp/File/d4b99109.jpg" /><br />
<br />
<br />
「ミュージアムショップ」<br />
<br />
博物館のお土産コーナーだけれど、<br />
これ時々信じられないぐらいいいアイテムが売っている。<br />
ハニワTシャツとか。<br />
<br />
そんな中、九州国立博物館にすごいものがあった。<br />
なんじゃこりゃ。<br />
<br />
・ <a href="http://www.auc-cop.co.jp/kyuhaku-ms/harikiki.html" target="_blank">九州国立博物館 ミュージアムショップ</a><br />
<br />
ぬいぐるみとかやべぇ。すごくいい。<br />
<br />
そもそも九州に国立博物館がある、というかできたの忘れてたし。<br />
東京、京都、奈良、そして九州だそうな。<br />
できたのが2005年。で、敷地は一番広いらしい。<br />
そもそも太宰府天満宮敷地にある、というのがこれまた<br />
ツボを突いている。素晴らしい。<br />
<br />
・ <a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8" target="_blank">Wikipedia - 九州国立博物館</a><br />
<br />
どれどーれ、上空から見てみると、<br />
<br />
<iframe width="360" height="360" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://www.google.co.jp/maps?hl=ja&amp;ie=UTF8&amp;q=&amp;om=1&amp;t=h&amp;s=AARTsJqdRo0Ndhm6FKH98GaqAyEcUOtvXQ&amp;ll=33.518517,130.53822&amp;spn=0.00644,0.007725&amp;z=16&amp;output=embed"></iframe><br /><small><a href="http://www.google.co.jp/maps?hl=ja&amp;ie=UTF8&amp;q=&amp;om=1&amp;t=h&amp;ll=33.518517,130.53822&amp;spn=0.00644,0.007725&amp;z=16&amp;source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">拡大地図を表示</a></small>
<br />
・・・この地図ではまだ更地かよ、と。<br />
まぁいいや。<br />
<br />
まぁそれはいいとして、<br />
このステキお土産はいったいなんなのか、と。<br />
いろんなところから調べるに、<br />
<br />
<br style="background-color: rgb(255, 153, 0);" />
<strong style="background-color: rgb(192, 192, 192);"> 鍼立（鍼灸師）が一人前になるために知っておくべき基本をまとめたもの</strong><span style="background-color: rgb(192, 192, 192);">で、</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<span style="background-color: rgb(192, 192, 192);">４部構成から成る。</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<span style="background-color: rgb(192, 192, 192);"> 1. 鍼の基本的な打ち方、病気別の打ち方などを記した聞書</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<span style="background-color: rgb(192, 192, 192);"> 2. 鍼や灸を体のどこに施すのかを示した図</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<strong style="background-color: rgb(192, 192, 192);"> 3. 体の中にいる虫の図とその治療法</strong><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<span style="background-color: rgb(192, 192, 192);"> 4. 臓器や体内の解剖図</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<span style="background-color: rgb(192, 192, 192);"> ●筆者と執筆された時期</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<span style="background-color: rgb(192, 192, 192);"> 巻末に</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<span style="background-color: rgb(192, 192, 192);">「永禄十一戊辰年十月十一日</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<span style="background-color: rgb(192, 192, 192);">　摂州住人上郡茨木二介元行（せっしゅうじゅうにんかみぐんいばらきにすけげんぎょう）（花押）」</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<span style="background-color: rgb(192, 192, 192);">とあるため、</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<span style="background-color: rgb(192, 192, 192);">現在の大阪府茨木市周辺に住んでいた二介（号を元行と名乗る）という人物が、</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<strong style="background-color: rgb(192, 192, 192);">1568年10月11日に記した</strong><span style="background-color: rgb(192, 192, 192);">と推測される。</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<span style="background-color: rgb(192, 192, 192);">※ちなみに９日前の1568年10月２日は、織田信長が上洛を果たし、摂津の国に攻め入った日。</span><br style="background-color: rgb(192, 192, 192);" />
<br />
<br />
と。<br />
まとめますと、<br />
<br />
・暢気にも、信長が地元にガンガン攻め込んできてる頃に<br />
・摂津国の針灸士が<br />
・針灸のマニュアル本を書いてて<br />
・体内にいる病魔の想像図をオレ妄想で描いた。<br />
・それを<strong>九州国立博物館、お土産として立体商品化に成功</strong>。<br />
<br />
と、いうわけで。<br />
<br />
<br />
<br />
・ <a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E%E9%87%9D%E8%81%9E%E6%9B%B8%E3%80%8F-%E8%99%AB%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B-%E7%AC%A0%E4%BA%95-%E6%98%8C%E6%98%AD/dp/4903888002/ref=sr_1_3?ie=UTF8&amp;s=books&amp;qid=1195025842&amp;sr=8-3" target="_blank">Amazon - 『針聞書』 虫の知らせ (単行本（ソフトカバー）)</a> <br />
<br />
・ <a href="http://www.j-cast.com/feature/mushi/index.html" target="_blank">j-castニュース 同本紹介</a><br />
<br />
現代でも一応入手できるんだな、というか、<br />
一部マニアにうけてたんだろうな、これ。<br />
自分は知らなかったけれど。<br />
<br />
九州国立博物館の展示物は基本的に、<br />
東京や京都から<br />
「じゃこれ持ってっていいよ」と移されたものがメインらしい。<br />
そんな中から、これに目をつけて、<br />
商品化したらかわいいよ！うけるよ絶対！<br />
そう思った九州国立博物館のスタッフ、偉いと思う。<br />
摂津、つまり大阪なんだから京都にあるのが一番筋だし、<br />
でも京都にあったら目立たない存在のまま終わってたかも。<br />
<br />
かくして腹中の虫、現代に甦りに成功。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<a href="http://www.cross-a.net/x.php?id=652_624_15832_23613&amp;pid=328730_233"><img width="120" height="60" border="0" src="http://ad3.cross-a.net/_/motsunabe/120x60.gif" alt="" /></a><br />
<br />]]>
    </description>
    <category>歴史バカニュース</category>
    <link>http://thomas.blog.shinobi.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/%E8%85%B9%E4%B8%AD%E3%81%AE%E8%99%AB%E3%80%82%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%EF%BC%88%EF%BC%9F%EF%BC%89%E3%81%AB%E7%94%A6%E3%82%8B%E3%80%82%E3%80%80%EF%BC%88%E9%87%9D%E8%81%9E%E6%9B%B8%EF%BC%89</link>
    <pubDate>Tue, 20 Nov 2007 11:42:39 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">thomas.blog.shinobi.jp://entry/42</guid>
  </item>
    <item>
    <title>藤原道長、その黒い影の男　（藤原行成）</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
<br />
<img width="360" height="270" border="0" alt="" src="//thomas.blog.shinobi.jp/File/e463c89b.jpg" /><br />
<br />
<br />
<br />
<font size="3"><strong>藤原行成</strong></font><br />
<br />
<br />
平安時代の貴族にして書家。<br />
和様といわれる書体を確立したとして、<br />
行成を含めて「三蹟」と呼ばれる他の二人、小野道風、藤原佐理らよりも<br />
一段高い評価を受けている。<br />
<br />
<br />
・・・なのだけどさ、<br />
この人の人生も、なんだかなぁ、と思うところがあるわけで。<br />
<br />
<br />
<br />
えーと、<br />
めんどくさくなるので、渾身の作の家系図置いときます。<br />
<br />
<a href="//thomas.blog.shinobi.jp/File/62e5ed06.png" target="_blank"><img border="0" src="//thomas.blog.shinobi.jp/Img/1202199799/" alt="藤原行成関連系図" /></a> <br />
（クリックで別窓拡大）<br />
<br />
数字は「摂関の襲名順」。<br />
つまりその時のナンバーワンが誰だったのか、ということ。<br />
いろんなものが見えるのです。<br />
たとえば１と２の間の時平はなぜなってないの？というと、<br />
最大級のライバル菅原道真がいたから・・・<br />
３のあと息子に行かなかったのはなぜかというと、<br />
天皇の外戚になり損ねた＆息子が割と早死にしたから。<br />
５と７の間が不自然なのは、<br />
その兄弟仲悪くって、５が７にどうしても権力委譲したくなかったから。<br />
そのあと不自然に道長（１０）まで横流れするのは、<br />
みんなボロボロ若死にしたから。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
さて、藤原行成ですが。<br />
<br />
天皇の外戚として、藤原氏のナンバーワンとして権勢を振るった、<br />
一条摂政謙徳公・藤原伊尹の孫に生まれました。<br />
お父さんはその御曹司でかつ、美貌の歌人で知られた藤原義孝。<br />
かつ、<br />
行成は生まれた直後に、偉大なる爺さんの養子になったのです。<br />
<br />
<br />
ここまでは順風満帆。っていうか普通の人にはあり得ない境遇。<br />
<br />
<br />
ところが、<br />
その年の内に権勢を振るった爺さんが死亡。<br />
二年後に父・義孝も21歳で死亡。<br />
おまけにこの死因、<br />
<strong>美男子だったのに、疱瘡で顔が醜くなったのを悲しんで自殺した</strong>、<br />
とも言われている。<br />
勝手な親父だよおい。息子どうすんのよ！？<br />
おまけにそのあと<br />
「ブサイクになったのが悔しくて悔しくて怨霊になった」とも言われてるのです。<br />
どこまで勝手なんだ親父！<br />
<br />
<br />
お陰でこの家系没落。<br />
<br />
<br />
これほどの血筋の御曹司なら本来、<br />
順調に後ろ盾があれば、10代前半でもういい位貰って、<br />
20前にはすごい高い位置へ行っちゃうのだけれど、<br />
爺さんはいない。親父はいない。親戚同士は権力闘争。<br />
なんの後ろ盾もない&rdquo;かつての御曹司&rdquo;・行成は、<br />
20過ぎても大した位も仕事もなく、ただ下っ端のほうの仕事をこなしていた。<br />
毎日の日記をつけ始めたのもこの頃です。<br />
<br />
<br />
ところが転機が、というか事件が訪れるのです。<br />
<br />
<br />
ある日、天皇の御前で、和歌に関する議論が起こったのです。<br />
一方の当事者は行成その人。<br />
相手は売り出し中の青年貴公子、<strong>藤原実方</strong>。<br />
この議論、地味だけどでも行成は一歩も引かなかった。<br />
で、相手の青年貴族はお坊ちゃん育ち。<br />
おまけに普段から気性が荒くて有名だったのです。<br />
むっかーーーー！もしかして俺のことバカにしてるぅ！？<br />
と、持ってた勺（しゃく）で行成の頭をぱーんと叩いてしまった。<br />
<br />
そしたら、<strong>烏帽子が落ちた</strong>。<br />
<br />
当時烏帽子が落ちて、素頭を見せちゃうことを<strong>「露頂」</strong>といって、<br />
凄まじく恥ずかしいことだとされていたのです。<br />
露頂しちゃって引き篭もった人もいるぐらいです。<br />
えーと、現代感覚で言うなら、人前でパンツ下ろされて、<br />
そのままブレーンバスターで振り回されてる、と思ってください。<br />
<br />
座の一同が「うわーめっちゃやっべええーーーーー！」となったのだけれど、<br />
行成は全く慌てず、<br />
雑用係に言って拾ってもらってそっと被りなおして、終了。<br />
怒る事もありませんでした。<br />
ここいら辺は、さすがに下積みが長いだけあったのか、<br />
地味な自分と違って、<br />
相手の敵わない身分や敵わない後ろ盾を感じていたのか。<br />
<br />
<br />
しかしながら、ここに激怒している人がひとりいました。<br />
結構モーレツで知られた当時の天皇です。<br />
実方をちょっと来いやぁーわれぇー！、と呼びまして、<br />
<br />
「お前よー、そんなに激論するほど和歌好きなんだろ？<br />
じゃあさ、<strong>歌枕</strong>（歌に読み込まれる諸国の地名・名物。都育ちの公家は当然見たことない）<br />
<strong>ってのさ、実際に見て来いよああああああん？天皇命令。</strong>」<br />
<br />
という風流な理由で、陸奥国つまり東北つまり当時の感覚では世界の果てへ、<br />
「陸奥守」、つまりは左遷と言う名の島流しにしてしまいます。<br />
実方は任地だか行路だかで死亡。<br />
その後は怨霊化したと言われています。<br />
この時代、なんでも怨霊だなぁ。<br />
<br />
<br />
「それにしてもあの下っ端貴族、<br />
下っ端だからあんまり見たことないけど、いい根性してるじゃないか。」<br />
天皇がそう思ってた所、行成には更なる幸運が舞い込むのです。<br />
<br />
<br />
ただしこれは実は幸運ではない。行成の人徳。<br />
<strong>行成の親友</strong>にして、天皇のお気に入りの<strong>源俊賢</strong>が、昇進することになりました。<br />
彼がいままで長く勤めていたのは、天皇の側近中の側近であり、<br />
その後の出世確実な要職である「蔵人頭」。<br />
みんなが羨むポジションで、当然各派閥の猟官暗躍が予想されます。<br />
「俊賢さぁ、お前が昇進するとポスト空くじゃん？蔵人頭、誰がいいと思う？」<br />
と聞かれて俊賢は待ってました！と<br />
「実は心当たりがあるんですよ。<br />
そいつのこと、帝も知ってますよ。<br />
実直で、権力争いとは無縁で、でも家柄はいいのが。」<br />
<br />
<br />
というわけで、<br />
出世階段数段ひらりと飛び越えて、<br />
鳴かず飛ばずの後見も無しの地下貴族、藤原行成が<br />
世間をあっと言わせる大抜擢をされることになりました。行成23歳。<br />
<br />
ただしここには、<br />
13歳年上の醍醐源氏一派のリーダー・源俊賢の、<br />
自分に有利な人事で権力構築、という目的もあり、<br />
その背後にはオレ派閥を着々と構成しつつある、<br />
<strong>時の大権力者・藤原道長</strong>の存在があったことは否定できません。<br />
<br />
<br />
かの有名な、時の国家を全て意のままに操るほどの男・藤原道長。<br />
でもこの道長は実は、<br />
行成のお爺さんから見ると「弟の家系」「それも端っこ」にあたるのです。<br />
大権力者の爺さんと、<br />
あの美貌の父ちゃんがもう少し長生きしていたら、<br />
この弟の家系への権力の軸の移動は、なかったかもしれないのです。<br />
つまり、<br />
本来この道長と行成の地位は、逆だったかも知れないのです。<br />
華やかな、世界の中心に立つ光の道長と、<br />
その権勢の一端を担いつつ、その権勢によって生きている墨蹟の如き自分。<br />
<br />
<br />
そのことを本人は、どう思っていたかはわからないけれど。<br />
<br />
<br />
行成は道長と帝の両方から信頼を寄せられ、<br />
蔵人頭からあとは要職や実入りのいい職を歴任します。<br />
位もコツコツどんどん上がっていきます。<br />
また若い頃の下積みと勉強がモノを言って、<br />
<strong>「宮廷行事のあれこれ細かいことに詳しい人」</strong><br />
いわゆる&rdquo;有職故実&rdquo;通として珍重されます。<br />
行成がメモった宮廷行事マニュアルが、<br />
後々まで基本マニュアルとして使用されたぐらい、<br />
彼の仕事はきっちりしていたのです。<br />
<br />
<br />
また、当時から<strong>「書の達人」</strong>として有名でした。<br />
（のち行成の家系は、書道の名家として続いていきます。）<br />
<br />
<br />
ある時、道長から自分が持ってない本を借ります。<br />
当時は本を借りたら、自分で書き写すものでした。<br />
コピーです。人力コピー。<br />
お陰で字の間違いとか、同じ書物なのに<br />
なんとか院本とかなんとか家本とかいろいろ出来ちゃうのですけれど。<br />
借りた本は比叡山の高僧・源信が書いた「往生要集」。<br />
当時流行ってた末世とかそういったブームの解説本というか、<br />
つまりは<br />
「死んだらお前も極楽へ行ける！かんたん極楽往生マニュアル」。<br />
日本を越えて海外・中国でもブームになった本です。<br />
これを行成は借りて、人力コピーします。<br />
で、返しに行った時に道長はこう言ったのです。<br />
<strong><br />
「・・・なんだよー、これ、俺が貸したほうの本じゃん。<br />
&rdquo;お前が書き写したほう&rdquo;が欲しかったのによー（笑）」<br />
</strong><br />
<br />
<br />
・・・道長という人にはこういう、&rdquo;ひとたらし&rdquo;的な部分があります。<br />
大権力者なのに軽率なぐらい気軽な部分があり、<br />
味方には最大限に甘く、敵にはとことん厳しい人なのです。<br />
<br />
前述したように、道長に対していろんな感情はあるかもしれません。<br />
それでも書家として、こんなこと言われたらどう思うでしょうか？<br />
アーティストとして！<br />
<br />
<br />
晩年も順調に、最大で、正二位大納言。<br />
そんな高い高いところまで出世します。<br />
有職故実。書家としても声望高く。<br />
もはや立派な大貴族です。<br />
<br />
<br />
そして、最後の事件が起こるのです。<br />
行成の人生の全てを簡潔に表すような事件が。<br />
<br />
<br />
生前にあれほど声望のあった立派な貴族にして書家、<br />
そんな行成が死んだのです。<br />
結構な大イベントのはずなのです。<br />
享年五十歳。当時としてはまぁそんなもの。<br />
<br />
<br />
ただし、<br />
<br />
<br />
<strong> 同年同月同日、藤原道長死亡。</strong><br />
<br />
<br />
ここに、光と影が同時に死亡、ということになりました。<br />
<br />
世間は時の大権力者の死に大騒ぎとなりました。<br />
なんせ絶対権力者だったわけで、もう国が転覆したぐらいの勢いです。<br />
かつ、その後継の代になると確実に、<br />
政治がちょっと不安定になる予感を、誰もが感じていたのです。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
というわけで、行成の死は<strong>当時、全く話題になりませんでした。</strong><br />
しょぼーん。<br />
<br />
<br />
<br />
「もしかしたら藤原道長になっていたかもしれない、道長の影の男」<br />
そんな行成。<br />
<br />
でも怨霊にはならなかった。<br />
影は影らしく黒々と、<br />
柔らかくそれでいて力ある「和様」の墨蹟を今に残しております。<br />
<br />
書道を勉強する上では、避けては通れないほどのビッグネームとなって。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />]]>
    </description>
    <category>平安時代な人物</category>
    <link>http://thomas.blog.shinobi.jp/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AA%E4%BA%BA%E7%89%A9/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E9%95%B7%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%AE%E9%BB%92%E3%81%84%E5%BD%B1%E3%81%AE%E7%94%B7%E3%80%80%EF%BC%88%E8%97%A4%E5%8E%9F%E8%A1%8C%E6%88%90%EF%BC%89</link>
    <pubDate>Sat, 10 Nov 2007 15:11:12 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">thomas.blog.shinobi.jp://entry/41</guid>
  </item>
    <item>
    <title>「輝かしい歴史」とは。( 金のこけしと墨俣城 )</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
<a href="//thomas.blog.shinobi.jp/File/110701.jpg" target="_blank"><img border="0" src="//thomas.blog.shinobi.jp/Img/1194448474/" alt="ゴールド" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
純金こけしのオーナー募集断念、売却へ<br />
<br />
財政難の青森県黒石市が<strong>時価約１億５０００万円</strong>の「純金こけし」売却を検討している問題で、<br />
地元に残そうと１口１万円の共同オーナーを募っていた<br />
住民有志「純金こけしオーナーズクラブ実行委員会」が１日、目標額に達しなかったとして<br />
募集断念を鳴海広道市長に報告した。これで、純金こけしの売却は避けられない見通しとなった。<br />
<br />
委員会は７月、１万５０００口を目標に全国からオーナー募集を始めたが、<br />
締め切りの９月末時点で応募は８１３７口にとどまった。<br />
目標に達しないため、応募分も実際の出資はなくなった。<br />
<br />
黒石市によると、１０月末の市議会全員協議会で意見を集約し、<br />
市長が最終判断をするが、「売却の方向は間違いない」（担当者）としており、<br />
早ければ年度内にも売却されるという。<br />
<br />
中村勝治実行委員長は<br />
<strong> 「残念だが、黒石の名前を全国にアピールできたし、活動は決して無駄でなかった」</strong><br />
と話した。<br />
<br />
純金こけしは「ふるさと創生事業」の１億円を活用して１９８９年に制作。<br />
市内の「津軽こけし館」に展示され、<br />
強奪を狙ったとして９月２９日には男が大阪府警に逮捕されている。<br />
<br />
［2007年10月1日17時23分］<br />
<br />
・ <a target="_blank" href="http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20071001-264091.html">nikkansports.com</a><br />
<br />
<br />
-------------------------------------------------------------------<br />
<br />
これ、見たことあるなあ。<br />
あの頃は津軽黒石にそんなに思い入れはなかったけれど、<br />
ちょっと前に津軽氏にしばらく興味持ったから、<br />
いまはなんかこの純金こけしがいい奴に感じる。<br />
<br />
いや実際はかわいくもなんともない奴だったけれど。<br />
詳しくは画像でも探してください。<br />
<br />
<br />
これ、当時1億円で作って、<br />
現在の金属相場上昇で<strong>時価一億五千万</strong>。<br />
だとしたら、金利面考えても黒石大成功じゃない？と思う。<br />
褒めてあげるべきだと思うよ。<br />
一億円の価値を全く落とさず、むしろ上げたのだから。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
さて、懐かしい歴史上の一大イベント<br />
「ふるさと創生資金1億円ばら撒き大会」<br />
この資金をどこがどのように使ったか、というのは<br />
当時から現代までいろいろ言われていますが、<br />
歴史方面に使った例もかなりあったのです。<br />
<br />
ただし、大抵はバカな使い方として。<br />
<br />
ま、大体<br />
「地元に歴史資料館建てる」<br />
「その資金の足しにする」<br />
「それもだっさい<strong>お城風</strong>」<br />
「地元の城跡に、<br />
歴史上ありもしない天守閣捏造」<br />
「でも誰も来てくれない」<br />
こんな感じでしょぼしょぼしているけれども。<br />
どこもかしこも一億の価値なんかありゃしないものばかり。<br />
<br />
<br />
中でも一番有名なのはやっぱりこれでしょうな。<br />
<br />
<iframe width="360" scrolling="no" height="360" frameborder="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&amp;hl=ja&amp;om=1&amp;s=AARTsJphchmq1u9uXVFfIqAUqGPa-d4fvg&amp;ll=35.367211,136.687528&amp;spn=0.001575,0.001931&amp;z=18&amp;output=embed" marginwidth="0" marginheight="0"></iframe><br />
<small><a style="color: rgb(0, 0, 255); text-align: left;" href="http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&amp;hl=ja&amp;om=1&amp;ll=35.367211,136.687528&amp;spn=0.001575,0.001931&amp;z=18&amp;source=embed">拡大地図を表示</a></small> <br />
<br />
伝説の墨俣一夜城。<br />
かの秀吉が一晩で作り上げたという巷談で有名な地元が<br />
・史実無視の場所に<br />
・史実無視のスケールで<br />
・史実無視のデザインで<br />
・一億じゃ足りないから追加ぶち込んで<br />
・(名古屋が近いから)金のシャチホコ掲げて<br />
・中はありがちな半端な資料館で<br />
・竹下登首相をお招きして、地元と首相はご満悦。<br />
<br />
という風に作り上げたのはいいけれど、<br />
観光客は誰も来てくれなかった、という、<br />
いまだにお城マニアからは蛇蝎のごとく嫌われている、<br />
ある意味、超メジャーなお城なのです。<br />
<br />
というかこの城、観光客には難攻不落なのです。<br />
地図見てもらえばわかるように、<br />
近くに駅が全くないのです。<br />
じゃ車使えばいいじゃん？<br />
<br />
・・・駐車場ないらしいよー。<br />
<br />
<br />
いやでもさすがにいまはあるかも、駐車場。<br />
作るだろ駐車場。問題点が発覚したら考えるだろ。<br />
<br />
・ <a href="http://www.sunomata.or.jp/rekisi/ichiyajo.htm" target="_blank">墨俣町商工会 - 墨俣一夜城</a><br />
<br />
<br />
この墨俣町、平成大合併にて大垣市に編入されました。<br />
大垣市には立派な「大垣城」というお城があるのです。<br />
ほんものの、歴史ある由緒正しいお城なのです。<br />
<br />
・ <a href="http://www.og-bunka.or.jp/guide/castle/index.html" target="_blank">財団法人大垣文化事業団 - 大垣城</a><br />
<br />
天守閣は空襲で焼けちゃったけれど、一応再建はしたし。<br />
城下町もなかなかなのです。<br />
墨俣みたいなアホ城、要らないのです。<br />
<br />
<br />
<br />
アホな政策で城が建ち、<br />
アホな政策でそれを引き取った。<br />
・・・でかいお荷物引き取ったなぁ。がんばれ大垣市。<br />
<br />
<br />
<br />]]>
    </description>
    <category>地域史</category>
    <link>http://thomas.blog.shinobi.jp/%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E5%8F%B2/%E3%80%8C%E8%BC%9D%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%84%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%82-%20%E9%87%91%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%91%E3%81%97%E3%81%A8%E5%A2%A8%E4%BF%A3%E5%9F%8E%20-</link>
    <pubDate>Mon, 01 Oct 2007 14:17:43 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">thomas.blog.shinobi.jp://entry/39</guid>
  </item>
    <item>
    <title>掘るぞ十三。　（十三湊と福島城）</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
<br />
<img width="360" height="270" src="//thomas.blog.shinobi.jp/File/a49cdc31.jpg" alt="" /><br />
<br />
<br />
<br />
福島城跡内郭は中世に構築と断定<br />
<br />
<br />
五所川原市相内の福島城跡の内郭が、<br />
十四世紀後半から十五世紀前半の中世（室町時代）に構築されたことが、<br />
県教委による二十七日までの発掘調査で明らかになった。<br />
同市十三にある国史跡・十三湊遺跡が港湾都市として栄えた最盛期と<br />
年代が一致したことになり、県教委文化財保護課は<br />
「これまで古代か中世かとさまざま議論されてきた内郭の成立年代が、<br />
中世と分かったのは大きな成果。今後の調査で、<strong>十三湊との関連性</strong>を明らかにしたい」<br />
と話している。<br />
<br />
<br />
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2007/20070928091841.asp<br />
<br />
<a href="http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2007/20070928091841.asp" target="_blank">東奥日報　2007年9月28日(金)</a><br />
<br />
--------------------------------------------------<br />
<br />
<br />
はぁ、福島城っすか。青森五所川原の。<br />
<br />
<iframe width="360" scrolling="no" height="360" frameborder="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&amp;om=1&amp;s=AARTsJqzARj-Z8VnW5pkPMLMmZbqrJcYpw&amp;ll=41.046605,140.366735&amp;spn=0.023303,0.030899&amp;z=14&amp;output=embed" marginwidth="0" marginheight="0"></iframe><br />
<small><a style="color: rgb(0, 0, 255); text-align: left;" href="http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&amp;om=1&amp;ll=41.046605,140.366735&amp;spn=0.023303,0.030899&amp;z=14&amp;source=embed">拡大地図を表示</a></small> <br />
<br />
これってでも以前は<br />
「中世の遺物が出なかった。<br />
なのでもっと古い城である。十三湊とは関係がない。」<br />
とか言ってた気がするのですけれど、<br />
つまり今回、<br />
「中世の遺物が出た。十三湊と関係あるかも。」<br />
ということですな。<br />
<br />
どっちにせよ<strong>十三湊</strong>なんだな。<br />
<br />
<br />
<br />
十三湊ってのは昔、この付近の、<br />
<br />
<iframe width="360" scrolling="no" height="360" frameborder="0" src="http://maps.google.com/maps?ie=UTF8&amp;hl=ja&amp;oe=UTF-8&amp;t=k&amp;om=1&amp;s=AARTsJplm3vJeKxgoMZ6QU4SA6p5K40UuA&amp;ll=41.028866,140.328026&amp;spn=0.046619,0.061798&amp;z=13&amp;output=embed" marginwidth="0" marginheight="0"></iframe><br />
<small><a style="color: rgb(0, 0, 255); text-align: left;" href="http://maps.google.com/maps?ie=UTF8&amp;hl=ja&amp;oe=UTF-8&amp;t=k&amp;om=1&amp;ll=41.028866,140.328026&amp;spn=0.046619,0.061798&amp;z=13&amp;source=embed">拡大地図を表示</a></small> <br />
<br />
こんなところにあったらしい、大港湾都市のこと。<br />
衛星写真ちょっと引いてみてください。<br />
「は？えーと、なんでここに？」<br />
とか思うだろうから。<br />
<br />
<br />
だけど、<br />
鎌倉時代から室町時代ぐらいには「日本三大港」として、<br />
博多、堺と並ぶ勢いの大港湾都市で、<br />
こんなところから大陸と直接貿易をやってたらしい。<br />
「こんなところ」というのは失礼だけれど、<br />
やっぱり大抵の現代日本人の感覚だと、そんな感じだと思う。<br />
なんでこんな北の最果てで？と。<br />
<br />
でも実はよくわかっていない。<br />
大体、伝承的に十三湊があったらしいよという話が<br />
残ってはいたけれどそれがどこだか<br />
ちーっともわからなかったし。<br />
「ガセネタだよ」説もあったぐらいで。<br />
「津波で一晩で消えた」という伝承もあって、<br />
支配していた安東氏の歴史がそもそも半端にしか解明されていないし、<br />
手がかりはないし。<br />
<br />
近年、<strong>まさか丸々埋まってるというのが発見される</strong>までは。<br />
<br />
<br />
その後十三湊はどんどん寂れていって、<br />
多分あんまりすごい勢いで寂れたから「一晩で消えた」とか言われたんだろうな。<br />
<br />
でもいまだによくわからないところが多すぎるのです。<br />
多分、この辺の歴史究明に、<br />
人的資源と資本力が投入されていないからだと思うのだけれど。<br />
福島城もそんな十三湊に近く、<br />
おなじ十三湖に面しているので、<br />
「十三湊を支配した城だ」<br />
「いやたまたま近所にあるだけの遺跡だ」<br />
とか議論があるまま、いまだに解明されていないのだろうなあ。<br />
<br />
<br />
トーホグで裏日本だけどさ、<br />
もう少し何とかしてあげたい。<br />
<br />
<br />
と、北陸で裏日本出身の自分が言う。言うだけ。<br />
申し訳ない。<br />
<br />
<br />
だって自分が研究者だったら、<br />
こんな北の果てで埋もれた都市を発掘するのは・・・<br />
なんとなく嫌だ・・・寂しい。<br />
北国の人間は、好き好んで寒いところへは行かない。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />]]>
    </description>
    <category>城</category>
    <link>http://thomas.blog.shinobi.jp/%E5%9F%8E/%E6%8E%98%E3%82%8B%E3%81%9E%E5%8D%81%E4%B8%89%E3%80%82%E3%80%80%EF%BC%88%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%B9%8A%E3%81%A8%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%9F%8E%EF%BC%89</link>
    <pubDate>Fri, 28 Sep 2007 14:51:34 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">thomas.blog.shinobi.jp://entry/45</guid>
  </item>
    <item>
    <title>とあるお兄ちゃんについて。　（ 藤原定恵 ）</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
<br />
「藤原氏」<br />
<br />
<br />
日本の歴史を語る上で、天皇家の次になくてはならない、<br />
というかダブル主役級と言ってもいい一族。<br />
上は位人臣を極める位置から、下は名もなきに等しい地方武士。<br />
というか現代ではパーフェクト平民までが藤原氏。<br />
<br />
そんな藤原氏は、たったひとつの血脈から発生しているのは、<br />
小学校レベルの日本史知識だと思う。<br />
<br />
中臣鎌足（藤原鎌足） --- 藤原不比等 --- ・・・<br />
<br />
ここから、全ての藤原氏が始まっている。<br />
この不比等の、<br />
つまり全国藤原氏の共通のご先祖の墓が、<br />
近年発見されたりしたこともあるのだけれど、<br />
まぁそれはいつかの機会に置いといて、<br />
実はこの藤原不比等、<br />
<strong>鎌足の次男</strong>だったことはあまり知られていないのです。<br />
<br />
「じゃあ長男はどこ行っちゃったんだ？<br />
よくある早世？」<br />
<br />
というわけではなく、立派に成人しているのです。<br />
<br />
<a href="//thomas.blog.shinobi.jp/File/110601.jpg" target="_blank"><img border="0" src="//thomas.blog.shinobi.jp/Img/1194416060/" alt="" /></a><br />
<br />
藤原不比等は次男。<br />
兄の名前は「藤原真人」と言います。<br />
<br />
なにしろ聡明で、勉強大好きで、<br />
一度読んだ本は忘れなかったとか。<br />
父・鎌足はそんな息子に期待をかけて「真人」と名乗らせます。<br />
真の人、<strong>「パーフェクトマン」</strong>ですよ。<br />
つかそもそもパーフェクトマンとか、<br />
「だれも等しく比べようがない（不可能）」＝不比等、とか、<br />
鎌足、息子に期待し過ぎです。<br />
<br />
そして不可解なのは、<br />
鎌足ったらそんな息子に大きく期待した上で、<br />
「出家させちゃう」<br />
のです。ハァ？<br />
<br />
<br />
出家して<strong>「定恵」</strong>と名乗ります。定慧、貞恵とも。<br />
<br />
<br />
当時は仏教はそりゃ流行中の最先端の文化でしたけれど、<br />
だからって時の実際の最高権力者にも等しい鎌足が、<br />
なんでまた優秀な長男を・・・？と疑問が湧くわけなのです。<br />
<br />
生まれたのが643年。<br />
たぶん本を読み出したのがそれから数年後、<br />
それで期待して出家させるのはさらに数年後。<br />
大化の改新で鎌足と中大兄皇子が権力を掌握するのが645年。<br />
その後鎌足は、多少の動乱期ではあるにしても、<br />
中大兄皇子の側近として実際の権力を手中にしているわけですから、<br />
なにもこの局面で、長男を出家させなくても・・・となるのです。<br />
<br />
これには諸説あるらしく、なんとも言い難いらしいのですが。<br />
<br />
「なにせ神祇系の中臣氏、仏教勢力とは距離があった。<br />
だから仏教勢力（海外勢力）を取り込もうとした」<br />
「朝廷内の旧勢力に対する、<br />
&rdquo;中臣氏はそんなに繁栄する意志はないですよ&rdquo;というポーズ」<br />
「不比等の同母兄とされているが、実は違う」<br />
「実はそもそも鎌足の子供ではない」<br />
「留学に有利だったから　（後述）」<br />
<br />
などなど。<br />
でも鎌足父ちゃん（親バカ）は一応、<br />
留学経験もある日本最高レベルの僧侶の下で出家させているので、<br />
ある程度大事にしてたというのは窺い知れるのです。<br />
<br />
そしてこの定恵もまた、留学に出るのです。<br />
第二回遣唐使団に入り、はるばる唐を目指します。<br />
・・・無茶するなぁ、と。<br />
この当時の遣唐使は、行きに博打、帰りに博打な、<br />
「生きて帰ってきたらすごくラッキーだね」<br />
という旅なのです。<br />
実際この第二回でも、遭難者（船）が出ています。<br />
それも643年生まれの第二回遣唐使が653年だから。<br />
・・・10歳ってそれ無茶し過ぎじゃないかと。<br />
<br />
しかし定恵くんは無事に唐に入国します。<br />
唐の都、長安にて、かの玄奘三蔵の弟子に相当する僧に付き、<br />
いろんな本を読んで、いろいろ遊学して、<br />
12年間の留学生活を送った定恵は、<br />
655年、唐から大和朝廷への使節に同行して、無事帰国します。<br />
<br />
この途中、大和朝廷と仲がよかった百済に寄り道しまして、<br />
そこで、<br />
「四行詩読んで遊ぼうぜ」「いいよー」「じゃ最初は定恵な、」「んーと、じゃあ」<br />
と切り出した二行が素晴らしすぎて、<br />
誰も続き二行がつけられなかった、という伝説が残っています。<br />
<br />
で、これがほとんど唯一のエピソードになります。<br />
<br />
帰国した彼を待っていたのは、<br />
もはや日本の人臣最高権力者というほどに登りつめた父親鎌足、<br />
そして留学中に生まれた弟、不比等くん七歳。<br />
<br />
さぁ、期待の息子が帰朝しました。出家してますけれど・・・。<br />
これから、かの鎌足の長男として、留学帰りのエリート青年として、<br />
素晴らしい活躍が見込まれるのです。<br />
<br />
という舞台に登った途端、帰朝後3ヶ月で死亡。享年23歳・・・。<br />
<br />
なんでも、<br />
百済の某が定恵の才能に嫉妬して、<br />
ムカつくので毒殺した、と伝わっております・・・。<br />
<br />
<br />
<br />
父に先立つこと4年。<br />
鎌足死亡後に、まだ幼い総領（不比等）を擁する、<br />
朝廷内の新興勢力である藤原氏が多少動揺した史実を考えると、<br />
この長男が俗体で、健康で生きていたらどんなにか、と。<br />
<br />
ま、死んじゃったものはしょうがない。<br />
<br />
<br />
<br />
この定恵が開祖と伝えられる寺（神社）が全国に数ヶ所、<br />
特に有名なのが三ヶ所残っております。<br />
ひとつは奈良県桜井市の聖林寺。<br />
・ <a target="_blank" href="http://www.shorinji-temple.jp/">聖林寺ホームページ</a><br />
ここは後述する談山神社の元となった寺の別院だそうで。<br />
で、同じく桜井の談山神社。<br />
・ <a target="_blank" href="http://www.tanzan.or.jp/">談山神社公式サイト</a><br />
全国藤原氏の頂点に君臨するこの談山神社はそもそも、<br />
藤原一族の祖・鎌足の死後、<br />
摂津国にあった鎌足の墓をここに移し、寺を建立したのが始まりだそうで。<br />
<strong>定恵が。</strong><br />
・・・いや、定恵が先に死んでますから。<br />
っていうかその寺建立した年にはもう死んでますから。<br />
それと鎌足の墓は摂津のその地点にありまして、近年発掘されましたから。<br />
<br />
でも、<br />
<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87"> 元明天皇</a>が死んだ時（721年）、陵地選定したのが定恵という説もあり。<br />
その頃70歳過ぎかな、計算上では。<br />
<br />
<br />
で、もう一ヶ所は神戸にある太山寺。<br />
・ <a target="_blank" href="http://www.do-main.co.jp/taisanji/">三身山太山寺</a><br />
ここは開祖が定恵となっていますが、<br />
「それは名目上の」ということが明確になっています。<br />
実際立てたのは不比等の息子、藤原宇合。<br />
夢の中に薬師如来が出て、定恵がどうのと言ったから云々、という<br />
由来が伝わっていますが、つまりはこういうこと。<br />
<br />
<br />
<br />
「会った事もないけれどさ、定恵叔父さんって・・・。<br />
なんだったんだろうな叔父さん。<br />
・・・俺、寺建てるわ。叔父さん記念の。」<br />
<br />
<br />
<br />
ま、そんな感じじゃない？<br />
<br />
と思いたいだけ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />]]>
    </description>
    <category>平安時代な人物</category>
    <link>http://thomas.blog.shinobi.jp/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AA%E4%BA%BA%E7%89%A9/%E3%81%A8%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%8A%E5%85%84%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%82%E3%80%80%EF%BC%88%20%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E6%81%B5%20%EF%BC%89</link>
    <pubDate>Fri, 31 Aug 2007 13:15:10 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">thomas.blog.shinobi.jp://entry/37</guid>
  </item>
    <item>
    <title>あなたに！一城の主になれるチャンス到来！</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
そこのあなた！<br />
男として生まれた以上、<br />
いつかは<strong>「一国一城の主」</strong>になってみたくないですか！？<br />
<br />
そうですね、あなたのように、<br />
<strong>一介の武将として生まれたからには当たり前の夢</strong>ですね！<br />
<br />
そんな武将のあなたにビッグチャンスです！<br />
<br />
<a href="//thomas.blog.shinobi.jp/File/082301.jpg" target="_blank"><img border="0" src="//thomas.blog.shinobi.jp/Img/1187848218/" alt="中津城売ってる！" /></a><br />
<br />
「中津城の購入保存を」　大分、福岡の歴史愛好家　６団体が市に陳情<br />
<br />
<br />
中津市の中津城天守閣が売りに出されている問題で、<br />
同市や福岡県吉富、上毛両町の郷土史愛好家の６団体が２２日、<br />
市役所を訪れ、市と市議会に市が購入することを求める陳情を行った。<br />
<br />
<br />
中津城は近世城郭としては九州最古。<br />
１５８８（天正１６）年に戦国大名の黒田如水が築城を始め、<br />
本丸と二の丸、三の丸、二十二の櫓（やぐら）などが設けられた。<br />
<br />
天守閣は鉄筋５階建てで、<br />
１９６４年に最後の城主だった奥平家が市民の寄付などを受けて建設。<br />
同家子孫の奥平政幸氏が代表取締役を務める「中津勧業」が建物を、<br />
代表役員を務める「奥平神社」が土地を所有しており、<br />
７月末に奥平氏が隣接する神社の土地も含めて<br />
<strong> 売却する意向</strong>を示していることが明らかになっていた。<br />
<br />
<br />
<a target="_blank" href="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/oita/20070823/20070823_004.shtml">2007/08/23付 西日本新聞</a>　より抜粋<br />
&nbsp;<br />
<br />
-------------------------------------------------------------------<br />
<br />
そこのあなた、<br />
<br />
これは<strong><font size="4">千載一遇のビッグチャンス</font></strong>ですよ！<br />
<br />
お城のオーナーになれるかもしれません。<br />
<br />
・ オーナー少なし (細川以降、小笠原と奥平)<br />
・ デザイナーズ物件　（如水＆細川忠興デザイン）<br />
・ 頑丈な昭和コンクリート物件 （流行のレトロ物件）<br />
・ 純和風建築 (なんせ天守閣)<br />
・ モダンなリフォーム済　（再建模擬天守）<br />
・ 川のほとりのステキ環境<br />
・ 防犯対策完全 (城ですから)<br />
<br />
どーうーでーすーかーそこのあなた。<br />
<br />
<br />
<br />
物件概要<br />
・ <a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E5%9F%8E">Wikipedia - 中津城</a><br />
・<a target="_blank" href="http://www.city-nakatsu.jp/modules/kankou/index.php?id=67"> 中津市HP - 中津城</a><br />
<br />
<br />
物件見取り図<br />
<br />
<iframe width="400" scrolling="no" height="400" frameborder="no" src="http://maps.google.com/maps?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E5%9F%8E&amp;ie=UTF8&amp;om=1&amp;s=AARTsJoyFQNQ3yx1D_s4Qjvo_FL_ROIJmw&amp;ll=33.614977,131.190662&amp;spn=0.028591,0.034332&amp;z=14&amp;iwloc=addr&amp;output=embed" marginwidth="0" marginheight="0"></iframe><br />
<a style="color: rgb(0, 0, 255); text-align: left; font-size: small;" href="http://maps.google.com/maps?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E5%9F%8E&amp;ie=UTF8&amp;om=1&amp;ll=33.614977,131.190662&amp;spn=0.028591,0.034332&amp;z=14&amp;iwloc=addr&amp;source=embed">拡大地図を表示</a><br />
<br />
<br />
<br />
しかしびっくりしたのは<br />
<br />
「中津城、奥平氏の所有だった」<br />
<br />
ということ。<br />
個人持ちの城（近年、自治体に権限委譲）として有名だったと言えば<br />
かの犬山城の例がありますけれど、<br />
城の土地と模擬天守とはいえ、近世立藩していた立派な大城郭が、<br />
個人所有（法人登録ですけれど）だったなんて。<br />
<br />
こういう例、他にも案外あるものなのでしょうか。<br />
<br />]]>
    </description>
    <category>城</category>
    <link>http://thomas.blog.shinobi.jp/%E5%9F%8E/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%EF%BC%81%E4%B8%80%E5%9F%8E%E3%81%AE%E4%B8%BB%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E5%88%B0%E6%9D%A5%EF%BC%81</link>
    <pubDate>Thu, 23 Aug 2007 03:50:26 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">thomas.blog.shinobi.jp://entry/36</guid>
  </item>
    <item>
    <title>崖線上のアレや。</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
滑落続出で封印の国宝・投入堂、６０年ぶりに拝観者公募<br />
<br />
<br />
<a href="//thomas.blog.shinobi.jp/File/082201.jpg" target="_blank"><img border="0" src="//thomas.blog.shinobi.jp/Img/1187754539/" alt="" /></a><br />
<br />
<br />
鳥取県三朝（みささ）町の<br />
三徳山三佛寺（みとくさんさんぶつじ）は、<br />
絶壁に立ち、立ち入り禁止になっている<br />
国宝・投入堂（なげいれどう）について１１月、<br />
１日だけ３人の拝観を認める。<br />
<br />
参拝者の滑落事故が相次いだため、約６０年前に&ldquo;封印&rdquo;したが、<br />
約１００年ぶりの修復を記念しての限定公開となる。<br />
<br />
平安時代に建てられた投入堂は高さ約１００メートルの絶壁にあり、<br />
修験道の開祖・役行者（えんのぎょうじゃ）が法力で<br />
建物全体を絶壁の岩くつに投げ入れたと伝えられている。<br />
現在、県などが<strong>三徳山全体の世界遺産登録を目指している</strong>。<br />
<br />
戦前は規制はなかったが、滑落事故防止と文化財保護のため、<br />
戦後間もないころに柵を設け、入れないようにした。<br />
三佛寺は<br />
「安全のため命綱をつけてもらうが、保険は自分で加入してください」<br />
としている。<br />
<br />
対象は１８歳以上で、現在、応募は１人だけ。<br />
「なぜ拝観したいか」などをテーマにした<strong>作文で選考</strong>する。<br />
締め切りは９月１日。問い合わせは同寺（０８５８・４３・２６６６）へ。<br />
<br />
<br />
<a target="_blank" href="http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070821i405.htm">YOMIURI ONLINE&nbsp; 8月21日</a><br />
<br />
--------------------------------------------------<br />
<br />
ということになったらしい。<br />
<br />
・ <a target="_blank" href="http://www5d.biglobe.ne.jp/~mitoku/index.html">三徳山三仏寺公式ＨＰ</a><br />
・ <a target="_blank" href="http://www.town.misasa.tottori.jp/site/page/allindex/heritagetop/">三徳山・投入堂を世界遺産に！ - 三朝町</a><br />
・ <a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BB%8F%E5%AF%BA">Wikipedia - 三仏寺</a><br />
<br />
<br />
名前は知らなくても、日本人なら一度は写真映像ででも<br />
見たことあるこの投入堂、<br />
なんでも<br />
かの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%92" target="_blank">役行者こと大魔道士・大呪術使いの役小角</a>が<br />
「建物ごとどかーんと投げ込んで」造られたそうで。<br />
<br />
それ、どんだけ豪腕投手だよ、と。<br />
<br />
<br />
でも山岳修験道関連であることだし、<br />
洋の東西を問わず、難しい地形を見たら、<br />
つい拝んじゃって、信仰の対象になっちゃうと思うのです。<br />
この投入堂も、麓からいい感じに見えるしね。<br />
そうやって拝んでるうちに、悪戯心と信仰心が混ざって、<br />
こういうもの造っちゃうと思うんですよ。<br />
最初は信仰のグッズが置いてあって、<br />
そのうち神仏像を安置したりして、<br />
かわいそうなので屋根つけたりして、<br />
で、<br />
<br />
<font size="4"> 「あそこにイカス建物造ったら、俺らすごくね？」</font><br />
<br />
という感じで。<br />
これなんか近いものあると思う。<br />
元々の原始信仰の場が発展して、つい凄いもの作っちゃった感じ。<br />
<br />
・ <a target="_blank" href="http://www.town.hiraizumi.iwate.jp/scripts/hiraizumi/kanko-rekisi/kanko/takkoku.html">平泉の観光 - 達谷窟 </a><br />
<br />
ま、達谷窟の場合、近年の再建なんですけれど。<br />
<br />
で、平泉の達谷窟といえば蝦夷悪路王アテルイ。<br />
アテルイといえば坂上田村麻呂。<br />
田村麻呂といえば清水寺。<br />
似てる。<br />
清水の舞台も、かなりの断崖に建てられているし。<br />
<br />
で、これまでの旅の経験から言うと、<br />
全国には案外「○○の清水の舞台」と呼ばれるような建築物があって、<br />
江戸ぐらいに明らかに清水意識して作られたものもあるけれど、<br />
もっと古いものもある。<br />
この投入堂は平安後期の建築資材が使ってあるらしいので、<br />
大体それぐらいには、現在の建物はあったことになる。<br />
<br />
なんか多分にね、その時代の素朴な悪戯心と信仰心で<br />
「あそこに建てたら凄くね？」<br />
だと思うんだ、やっぱり。<br />
<br />
さて、世界遺産を目指してるらしいのですが、<br />
その辺への突っ込みはまたいつかに取っとくとして。<br />
<br />
<br />
この建物、６０年間原則立ち入り不許可だったらしい。<br />
そもそもこの建物、正式なアプローチがなくて、<br />
床下の岩の部分に階段状のくぼみがあって、<br />
そこを使ってまさに這い上がるように登っていくんですよ。<br />
えーなんで知ってるかというと見に行った事あるから。<br />
<br />
不許可・・・うーん、<br />
<a href="http://www.flickr.com/photos/16728847@N00/163577416/" target="_blank"> Flickerではこんな画像みつけたぞ。</a><br />
<br />
いやいやあれよ、<br />
修繕の人とか調査員とかは登ってるから、<br />
そんな人かもしれないよ。<br />
<br />
え、オラは・・・ひみつ。<br />
<br />
<br />
とか言ってみたりして。<br />
ま、多分上の画像も、<br />
投入堂じゃない建物で撮ってるんだと思うのです。<br />
他にもいろいろあるから。<br />
<br />
あとですね、三朝温泉とか三朝温泉とか、<br />
隣町になるけれど、羽衣石城とか日本のハワイとかあって、<br />
なかなかいいところですよこの辺は。<br />
<br />
<br />
ところで、<br />
「作文提出審査で三人限定で許可」<br />
なのだそうで。<br />
誰がなに基準で選ぶんだろとちょい不思議。<br />
思い入れがこもってればいいのかな？<br />
しかし、<br />
<br />
<strong>三</strong>徳山で<strong>三</strong>仏寺で<strong>三</strong>朝町、<br />
<br />
だから三人限定なのだろうとは思うのだけれど、<br />
だったら<br />
<br />
<font size="4"><strong>「３３３人ご招待」</strong></font><br />
<br />
にしろよ、と。<br />
あと長嶋終身名誉監督も呼べ。<br />
<br />
<br />
日本で「３」といえば長嶋茂雄か三平三平と決まっている。<br />
昭和の昔から決まっている。<br />
<br />
<br />
<a target="_blank" href="//thomas.blog.shinobi.jp/File/082202.jpg"><img border="0" alt="" src="//thomas.blog.shinobi.jp/Img/1187754540/" /></a><br />
<br />]]>
    </description>
    <category>寺社仏閣</category>
    <link>http://thomas.blog.shinobi.jp/%E5%AF%BA%E7%A4%BE%E4%BB%8F%E9%96%A3/%E5%B4%96%E7%B7%9A%E4%B8%8A%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%84%E3%80%82</link>
    <pubDate>Tue, 21 Aug 2007 23:50:15 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">thomas.blog.shinobi.jp://entry/35</guid>
  </item>

    </channel>
</rss>